仏教者が考える憲法改正 -いのち、人権、平和の視点

武蔵野大学教授
山崎 龍明

 

ともに傷つく戦争

およそ40年さまざまなものを書いてきましたが、今、原稿用紙を前にして、妙に緊張している自分に気づいています。大げさではなく、今から書こうとしていることは、仏教者として生きてきた私の遺言にしたいと考えています。

1965年ベトナム戦争が起こりました。アメリカによる北ベトナムへの激しい爆撃はベトナムを共産主義から守るという名分でした。しかしその内実はベトナムを舞台にして展開されたアメリカとソ連との戦争でした。
人間は、実に愚かな者です。いつまでもいつまでも戦争をやめることができず、人を殺し続けています。20世紀が戦争の世紀といわれ、世界中で大小およそ2500の戦争が起こり、約2億人の人が亡くなったといわれています。

ベトナム戦争後もソ運のアフガニスタン侵攻、湾岸戦争、イラク戦争その他各地の民族紛争といったように世界中で戦争ばかり起こしています。戦争は天災ではありません。人間自身がひき起こすものです。であるならば、人間の手でやめさせなければなりません。いや、かならずやめさせることができます。 特に、信仰を口にするものはこのことに敏感でなければならないはずです。

戦争は、ひとたび起こされると、止まるところを知りません。加害者も被害者もともに傷つくのが戦争です。
戦争に勝利はないといわれる所以です。あのベトナム戦争からおよそ40年。アメリカ兵として戦った兵士が、今なお社会生活かできず、常に敵におびえているというレポートもあります。すべての人がベトナムで戦ったベトコンゲリラに見えるそうです。彼らは加害者であり、同時に戦争の被害者なのです。イラクでは3千2百人以上のアメリカ兵が死に、3万人以上のイラク人が死んだといわれます。

しかも一向に終結の兆しはみえず、ますます泥沼化の一途を辿っています。どれだけアメリカ兵を増派しても解決はしないでしょう。死者の山を築くだけです。一日も早くこの愚行、蛮行に気づいて終結の道を探るべきです。アメリカの世論もイラク戦争は間違っていたという人が60%を超えました。今大統領は躍起になっておよそ2万人の兵力増員を主張しています。しかしイラク開戦4年目の3月20日大規模な反戦デモがあり、棺に星条旗を覆っての行進もありました。イラクには自衛隊が派兵されましたが、自衛隊員はだれも殺さず、殺されもしませんでした。なぜでしょうか。これが小論の中心である「日本国憲法」に関わる問題です。

2005年、戦後60年といわれる中で、憲法改正をめぐる論議が高まりました。周知の通り、もちろんそれまでも「アメリカの押しつけ憲法排除」「自主憲法制定」の運動は声高くありました。この問題を仏教徒として私は少し掘りさげてみたいと思います。憲法というものに国民にとって極めて重いものです。しかし、それを平気で無視し軽視する政治家が多いことに私はあきれます。

憲法とは「国家」が権力を乱用して、国民の自由や権利を侵さないように、国民が国家に課した制約です。つまり、最高法規(第98条)なのです。

 

戦争への足音

立憲主義にたつ日本国憲法は、①国民主権 ②基本的人権 ③平和主義 を基本原則にかかげています。

私はこの3つこそ無数の人々の悲しみの歴史によってもたらされた「貴重な財産」であると考えています。しかし、第96条には改正の規定が定められていることも周知の通りです。

現行憲法の第2章には「戦争の放棄」がうたわれています、第9条〔国権の発効たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めない。とあるのは知られるところです。

2005年11月22日に発表された「自民党新憲法草案」には「第2章 安全保障」平和主義の項には、現行憲法の②(戦力の不保持等)は削除されています。そしてその次に「自衛軍」という項目のもとに、総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持すると明記されています。防衛庁もすでに今年1月防衛省になりました。

条項の全文をあげることは避けますが、着々と戦争への道が開かれていると考えるのは私だけでしょうか。
あらためて自衛隊を軍隊とし、戦力保有を明記するといった改正の方向はなんといってもさきの平和主義、基本的人権を脅かすものとして、改正にというよりも改悪と言わざるを得ません。

私は現行憲法に一貫する「いのちの尊厳」「人権遵守」「戦争の放棄」の3つは仏教精神そのものととらえています 仏教に多くの宗派がありますが「不殺生」「非暴力」はその根本原理であると私は考えます。いかなることがあってもこれらを否定したり、軽視する者は仏教の徒ではないといったら過言の謗(そし)りをうけるでしょうか。

私たちの現実をとりまく状況はきわめて酷しいものがあります。戦争の世紀といわれる20世紀から21世紀の幕開け早々、2001年9月11日米国では同時多発テロが起こりました。この時から世界は一変しました。自国の安全を守るという名分のもとに無原則に軍備増強が唱えられるようになりました。日本でも北朝鮮の核実験によりあたかも1億総軍備論者になったような感があります。戦争はすべて自衛のため、正しい戦争(今戦、義戦)という名目のもとになされますが、そんな戦争などありません。戦争はいかなるものであっても人類最大の愚行、罪業です。私はそれをブッダから学びます。

 「恐れが生じたから武器を持ったのではない、武器を持ったから恐れが生じたのである」

(ダンマパダ)

という言葉を私は大切にしています。核兵器を持たない国の不安と恐れが核実験を生み、そしてその核を外交カードにしています。同時に核を持つ国が他同の核保有を批判し強大な圧力をかけるという図式は世界の常識となってしまいました。

 

理想論で悪いのか

仏の子よ、利益を得ようとする悪心から、策謀して国を動かし、軍陣に身を投じ戦争を起こして征服し合い、もって数しれない人々を殺してはならない

(『梵網経』)

刀杖などの武器を使わないで、常に正しい智慧に基づく方法・手段によって、もろもろの悪を遠ざける

(『大般涅槃経』)

というのがブッダのメッセージでした。私は「仏が歩まれるところはどこもみな、その教化をうける。国内は平和で、日月は清らかに明るく風雨は時宜を得ており、災難は起こらず、国は繁栄し、国民は安らかな生活をおくり、軍隊や武器を用いることがない」(『大無量寿経』)という経典の「兵戈無用(ひょうがむよう)」という語を特に心に刻んでいます。

これが仏教者のめざす世界です。

このようなことを書くと、必ずいわれることがあります。「それは理想論ですよ」と。私はそんな時、近代日本の著名な仏数学者、教育者である高楠順次郎の「理想をもたない者は必ず堕落する」という言葉を想いだします。

こんにちは大人が「夢」を語らなくなった時代だといわれます。同時に「理想」を語ることのない時代といってもよいかも知れません。まさに、時代の閉塞です。

「現実に法を合わせるのではなく、法に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは法に敬意が払われない社会の中では、法はいつでも理想論なのである」(平川克美「9条、理想論で悪いのか」朝日新聞2007年1月13日)という指摘があります。

一切の戦争を放棄すると誓った憲法のもと、戦後「国権の発動」によって人を殺すことをしませんでした。また殺されることもありませんでした。この事実を忘れてはならないと思います。そのことを見失い、緊張する国際情勢のもと、「いつでも戦争ができる国づくり」がなされているように私には思えます。そのための憲法改悪です。そして、現在の青少年問題などに便乗して国家のためになる、いつでも国のためにいのちを捨てることのできるような、素直な子供づくりのために、さきの教育基本法改正がなされたとわたしは理解しています。

最近、高齢の方の戦争を懸念する投書を多く見かけます。さきの戦争の被害ばかりがいわれる中、「語り継ぎたい勝ち戦の悲劇」として「優位に戦を進め、相手を殺傷し捕らえ苦しめた反省ももっと語るべき」とある投書は述べていました(「朝日新聞」2005年6月29日) また、『徴兵も強ち悪とは言い切れず地べたに座る若者見れば」という朝日歌壇の投稿に関して、「彼らを軍隊に入れればどうにかなるというのは短絡すぎないか。

兵隊は人間を戦う道具につくり替える場であり、若者を人間として教育する場てはない。若者をだらしなくしているのは日本の社会なのだから、立ち直せるのも社会が責任を持って行うべきではないか」(「同」2006年8月4日)と指摘した人がいました。

私の周囲にも若者を鍛えるために軍隊をという人が多くいます。悲しくなります。そんな時、この投書に触れて私はこの方の健全さに感銘を覚えたものでした。芥川龍之介は、『侏儒の言葉』の中で「軍隊の仕事はまず人間から理性を奪うことである」と記しています。まちがっても若者教育の場として「軍隊」を、というようなことを考えてはならないと思います。

 

戦争を禁止ずる政府を

元防衛庁局長で加茂市長の小池清彦氏はイラク特措法廃案を求める要望書を多方面に送り、自衛隊の派遣は海外派兵となり憲法違反であると訴えつづけ、防衛庁のOBその他多くの人々の賛同を得たそうです。氏は憲法改正論者であり、強い軍隊を持つべきであると考えていた人です。しかし、米軍と一緒に戦争をする中で憲法9条の意義にあらためて気づいたそうです。「『9条がなければ朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争に日本は全面参戦していた。日本人が世界の人々に平和を愛する国民として敬愛されることもなかっただろう」(「朝日新聞」2003年11月30日)と述べ、平和憲法は日本の宝。憲法を守り、海外に派兵しないことは、先の大戦で亡くなった方々たちが一番望んでおられることでもあるはずだと言っています。(取意)

イギリスの王立防衛大に留学し、防衛庁防衛研究所長、教育訓練局長などを経てきた人の発言です。

泥沼化したイラク戦争。かつてのベトナム戦争と同しようなゲリラ戦となり、解決の兆しさえみられません。アメリカは戦費がもたなくなり、同盟国に参戦を求めています。憲法改悪という問題もアメリカのため、アメリカ発であるという側面をわれわれは看過してはならないと考えます。一連の行政改革もその背後にアメリカ経済の意向が強くはたらいているということも識者の指摘するところです。日本はアメリカの1つの州ではありません。国内のアメリカ軍基地の横暴などを目のあたりにするとき、私は日本は果たして独立国なのかと疑問を抱いてしまいます。

もう8年ほど前になりますが、オランダのハーグで、世界から100ヶ国、およそ1万人の市民と、国連のアナン事務総長、各国の政府代表などが集まり、「ハーグ平和アピール」という会議がもたれました。そのとき、「公平な世界秩序のための基本十原則」が発表されました。その第一に、「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止にする決議を採択すべきである」とあります。現行憲法は日本人よりも外国の、戦争に苦しみ、傷ついているこころある人によって評価され、支持されているということをわれわれはもっと知るべきだと思います。私がアメリカに行った時、一人の青年が私に言った言葉を忘れることができません。

彼は「目本の憲法第九条は素晴らしいものです。世界で唯一の世界に誇れる憲法だと思います。なぜ日本人はそれを軽視するんですか」と言いました。ベトナム戦争が終わって10年ぐらい経過した時のことです。

私はよく「仲間意識は仲間はずれをつくる」と言います。仲のいい仲間同士の語らいなどは、はたから見ていても気持ちのいいものです。しかし、その仲間意識には仲間以外の者を寄せつけない排他性があります。私は「同盟国」というものをあまり信じていません。なぜならそれは非同明国の国を疎外し、そこからさまざまな憎悪、争いが生起し、それが戦争につながることも多いからです。

武力による威嚇は緊張関係を生み出すことはあっても、決して和平につながることはありません。断ちがたい暴力の連鎖へとつながっていきます。武力によらない平和づくりは並大抵のことではありません。

「平和を創るには智恵と勇気と忍耐が必要です。闘っていのちを落とす勇気よりも〈ノー〉と言う勇気、〈別な方法〉を模索する智恵、そしてジッと我慢する忍耐と度量」「地域や国がその力を持てば、今よりもっとハッピーになるはず。その気にさえなれば、戦争以外の解決は可能なんですね。もう1つの世界は可能なのです。」(『禅の友』)2006年12月「戦争は答えじゃない」いちだ まり)

 

戦争の悲惨さを見抜く目

今こそ、全人類が「平和の創造」に向かって動くときです。20世紀が戦争の世紀といわれ、21世紀こそと思いながら、世界は相変わらず、差別、貧困、戦争のるつぼの中にあります。世界各国で戦火が上がり、多くの犠牲者がうまれています。仏教に生きる者の信仰力、智慧力が今あらためて問われています。安倍首相は、国のために役立つ青少年をつくるために教育基本法を改正し、お上のいうことにたてつかず、国のためにいのちを捧げ、1億の人がこころを1つにしていつでも戦争のできる国にするために憲法改正を試みています。

母と婚約者を残し日本で最初に戦犯として処刑された由利敬は26才でした。軍国少年として生きることが国のためであると信じて、疑わなかった。一筋の道でした。軍隊でスピード出世した彼は若くして大牟田捕虜収容所長となったことが刑死につながりました。彼の死後、母のツルさんは「息子を殺したのは私です。愚かな母の大罪です」と言いました。皇国の軍人として生きることだけを教えてきた母。それにこたえることが孝行の道と信じ26才で刑死した息子。当時「国が悪い、国にだまされていた」という人が殆どでした。そのような中で「愚かな母の大罪」と言いました。それは戦争の誤りと悲惨さを見抜く眼を持たなかった自己に対する深い懺悔と息子に対する謝罪の言葉でした。60年以上たった今も戦争の癒えぬ傷を抱いて生きている人が無数にいます。

最後に私が感銘を受けたある投書(朝日新聞)を記して筆を擱きます。

「父を始め無数の人々の死によって手に入れた平和憲法を、今変えるという。もし変えるなら、私の父を生き返らせてほしい。それからにしてほしい」

(参考「仏教と憲法9条」念仏者9条の会編。広島県三次市東河内町237西善寺内。私も呼びかけ人になっている会ですが、よくまとまっているブックレットです。「佼成新聞」2005年12月11日号の憲法改正を扱った特集記事は、宗教関係の新聞紙誌ではもっともよく整理されているといってもよいものです。)

「大法輪」2007年6月号より

憲法九条 仏さまの願いです

 

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子:

今度の総選挙で政権交代したね。今までの政治とまるで変わったみたいだね。

母:
4年前の選挙では自民党が圧倒的な議席を取って、今度は逆に民主党がすごい議席を……、こんなに簡単に国民の気持ちが変わるって恐ろしい気もするわね。

祖母:
今度の総選挙では憲法のことは何にも言わなかったみたいだけど……、もう憲法を変えろって話は無くなったのかねえ。
父:
そう、確かに憲法の話はなかったけど……、落ち着いたらまた出てくるんじやないかな。民主党も憲法を変えたいって思ってるからね。

 

押しつけられた憲法?

子:
だって、今の憲法はアメリカに押しつけられたものだろう。だから変えるんだよね。

父:
日本は戦争に負けて連合国に占領されていてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が圧倒的な力を持っていた時代だから、どういう形にしろその意向が反映されたことは間違いないだろうねぇ。

祖母:
でもねぇ、その時はみんな喜んだのよ。もう、戦争をしなくっていいんだって。死んだおじいちゃんは、その頃の新聞を切り抜き帳に貼ってたもの。

子:
へえぇ。おじいちゃんも喜んでたの?

祖母:
そうよ、おじいちゃんも戦争に行ってね、仲間が大勢死んで自分が生き残ったってずいぶん辛い思いをしてたわ。兄弟も死んで、自分だけが生き残ったって。でも、兵隊に行ってた頃のことはほとんど話さなかったねえ。ロにはできないことがあったんだろうねぇ。苦しかったと思うよ。

子:
見せてよ、そのノート。

(祖母、紙箱を持って来る)

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子:
あ、これだね。「主権在民・戦争放棄」ってトップ記事だ! 「天皇は国家の象徴」「国民至高の総意に基く」って。

祖母:
憲法はこのようになります、って明らかにされた日の新聞ね。

子:
なんか、ボロボロのちっちやな本もあるよ。「新しい憲法 明るい生活」……。これ、何?

祖母:
あ―、こんなのも残してたんだねえ。これはねえ、政府がみんなの家に配ったんだわ。なつかしいわねぇ。

父:
初めて見るなあ。憲法の説明書みたいだよ。後ろには憲法の全条文が載せてあるよ。

母:
見せて、見せて。ホントだ! 私、覚えてたのよ憲法前文を、高校生の頃。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

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子:
僕に見せてよ。なんか難しい字だね、、読めない字もあるよ。

祖母:
そうよね、昔の字だから憲一には読めないでしょうね。

父:
貸してごらん。お父さんなら少しは読めるから。

《新憲法が私たちに与えてくれた最も大きな贈りものは民主主義である。民主主義政治ということを一口に説明すれば「国民による、国民のための、国民の政治」ということである》

子:
じゃ、その前の憲法は民主主義じゃなかったんだ。

母:
学校で習ったでしょ、大日本帝国憲法を。第1条に「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」って。

父:
《旧憲法では国の政治の最高の権限は天皇がお持ちになっていた。そのため一部の軍人や重臣などが天皇の名をかりて、わがまま勝手にふるまい、悪い政治を行うすきが多かった》
って率直に書いてるね。最後には
《私たちは新憲法の実施を迎え、新日本の誕生を心から祝うとともに、新憲法をつらぬいている民主政治と、国際平和の輝かしい精神を守りぬくために全力をつくすことを誓おうではないか》
って高らかに宣言してる。

子:
じゃあ、みんな喜んだんだ。

祖母:
そうよ。日本人だけで310万人もの人が戦争で死んだんだもの!
押しつけられたか、押しつけられたんじゃないとか、いろいろ言うけど中身が問題、中身よ。みんなが喜んだ憲法だもの。おばあちゃんも若い頃は、軍国少女だったのよ。目本国勝て、日本国勝て、といつも思っていたし、「南京陥落」とラジオから流れてくると「バンザーイ」と喜んだものよ。でもそれは、人の命の奪い合いの上に立っていたのよね。
おばあちゃんも、憲法九条が盛り込まれてうれしかったわ。
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母:
そう、前文に

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従(れいじゅう)、圧迫と偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

って書いてあるわ。

祖母:
さっきのご法事でお坊さんが「仏さまは幸せに生きなさい、誰ひとり不幸であってはならないと願ってくださってる」って話しされたわ。

父:
仏さまは私たちに「地獄・餓鬼・畜生のない世界を創ろうじゃないか。あなたもその願いを共に生きようではないか」と願ってくれてるんだよ。そんなことは理想だ、できっこないよ、って思っている間はできないんだ。一人ひとりが「そうなんだ!」ってうなづいて決意しなければできないんだ。

母:
お釈迦さまはね「全世界の人々に限りない優しい心を起こさなければならない」っておっしゃっておられるわ。

子:
じゃ、憲法前文って仏さまの心だ!

 

憲法「9条」って?

子  憲法9条が問題になってるよね。何て書いてあるの?

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

父   「戦力を保持しない」を問題にする政治家たちがいるんだよね。
祖母   軍隊を持ったら戦前のようにまた戦争をする国になっちゃうじやない。
子   でも、軍隊を持たないと目本の安全が守れないじやない。
母   憲法前文には

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

って書いてるわ。かっこいいじやない。
子    かっこいい、だけじゃ現実的じゃないよ。

侵略されたら、どうするの?

子:
9条を守ろう! つて言ってる人たちがいるのは知ってるけど、侵略されたら困るよね。攻められたら国を守る軍隊がなけりゃどうするんだよ。

父:
再軍備をしようと思う勢力が「戸締(とじま)り論」つて言ってね、泥棒に入られないために家に鍵を付けるのと一緒で、外国から侵略されないために軍隊を持たなければならないって主張してるんだけど、さあどうかなぁ。

祖母:
隣の国がテポドンとか核実験をしてるってテレビで聞かされるとやっぱり不安にかるわね。でも、あの国は周りから非難されてるのになぜあんなことをするのでしょうねえ。仲良くすればいいのにねえ。

父:
う―ん、きっとあの国は自国がいつ攻められるかと不安でいっぱいなんじやないかな。

母:
「あの国」っていうけど「あの国の政権」が不安を感じてるのだと思うわ。

子 :
どういうこと?

母:
大量破壊兵器を持っているから危険だ、っていう理由でアメリカはイラクを攻撃したわ。実際はそんなもの無かったんだけど、それを理由に戦争を始めたの。それも自衛のためって言って軍隊を送りこんでフセイン大統領を捕まえて死刑にしてしまったわ。だから金正日(キムジョンイル)総書記は自分もそんな目にあうんじゃないかって恐れてるんじゃないかな、って思うの。それでね、攻めてきたらテポドンを飛ばすぞ! って叫んでるんだわ。攻めないでくれ! って。

子:
そうか、それが「戸締り論」なんだね。でも、周りの国の人は不安に思うのは事実だよね。孤立しちゃうし。それにあの国の人たちは食糧も十分無いって言われてるじゃない。テポドンを作るお金で食糧を輸入したらいいのに。おかしいよね。

父:
そうだね。軍隊は「国を守るため」っていうけど実は国民一人ひとりの命や暮らしを守るんじゃなくて、その国の権力を持ってる人たちを守るためにあるってことが見えてくるね。外から見るとそのことが判るんだけれど、その中に暮らす人々は日々「お国のため」って教育されてるから本当のことが見えてこないんだ。
かつての日本もそうだったし日本に住んでいて、実は日本の政権が何をしたがっているのか、そのことが外国の人々からどのように見えるかってことを考えないように教育されてるんだ。このことが一番怖いことだなあ。

母:
そういえばご近所の大きな大を飼ってるお家の人、散歩させるのにもう少し気をつかって欲しいと思うことがあるの。あの大きな犬が私に近寄ってきて、私か怖がってるのに「うちの子はおとなしいですから、安心してください」って言うのよ。

祖母:
軍隊を持つって、そういうことよ。日本が堂々と軍隊を持ったらかつて日本の軍隊に散々ひどい目にあった周りの国の人たちはきっと恐怖を感じるわ。

子:
ねえ、目本の軍隊はひどいことをしたの?

母:
教科書にはあんまり書いてないからきちんと勉強しないとね。

 

誰が9条を変えたいの?

母:
新聞に見過ごすようなちっちゃな記事がでてたの。それはね

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■武器禁輸「見直しを」日本経団連は14日、原則すべての武器の輸出を禁じている「武器輸出3原則」の見直しを求める提言を発表した。武器は国際共同開発が主流になっているとして、3原則の見直しにより、日本企業による他国との共同開発を可能にすべきだと主張している。

アッ、これなんだ! って感じたのよ。9条を変えたがっているのは、このグループなんだ! 自動車が売れなくなったから、武器で儲けようって考えてるのよね。武器は使わなければ次が売れないんだから戦争しなけりゃならないのよ。こういう人たちは自分が儲けることなら何でもいいのよね。武器は人を殺す道具よ! 人を殺す道具を作って自分たちはその陰でいっぱい儲けるのよ!

父:
そういえば、お釈迦さまは

「国王は武力で隣の国も、その隣の国も我がものにして、陸続きの国々を全て征服したとしても満足せず、海を渡ってはるか遠い国々をも侵略するであろう」と、おっしゃってるよ。このお言葉を聞くと全く現代を表しているようだね。「海を渡って」って。

祖母:
戦争は人を殺すことなのよ。人を殺すなんてとてもできない。でも戦争になると人を殺さなければならないのよ。だから、どんなに正義を振りかざしても、戦争を始める理由にしてはいけないと思うの。

父:
戦争に行けば、軍隊に入れば人は変わるって、年配の方が言ってたよ。普通じゃなくなるって。

母:
「人を殺すなどしたくはない、と思っていても場合によれば百人も千人も殺すことだってある」と親鸞という方はておっしやったわ。
人間って時と場合、置かれた環境によれば何をしでかすか、分からないものをもっているのよね。だから戦争につながるものは、どんな小さなことでも絶対に許してはいけないのよ。

 

どうすれば平和は守れるの?

 

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祖母:
もう、戦争はいやよ。絶対いや。

母:
戦争の手段、軍隊を持たなければ戦争はできないわ。

子:
そうだね、隣の国が軍備を大きくしたら気持ちよくないよね。なんだか怖いよね。
こっちも軍隊を持たなきやって、やっぱり思っちゃうよ。

母:
常日頃から仲良くしてたら相手の気持ちもわかるんじゃない。そしたら戦争なんかできないわ。

父:
仲良くするのは政府と政府が仲良くしなければならないんだけど、その国のひとり一人と仲良くできる、そう、理解しあえることが大切だとおもうね。

母:
私はね広い意味で国際貢献するべきだと思うわ。困ってる地域の人々が生活できるように。

父:
単にお金で援助するんじゃなくてね。今でも井戸を掘ったり、用水路をその地の人々と一緒に造ってる民間のグループがあるよね。そんな風に。

母:
さっき仏さまの願いって言ったけど、人間の一番の苦しみは飢えだと思うの。世界中の人々が飢え死にしないような国際貢献っていうか、協力がでさればきっと世界は変わるわ。

祖母:
そうよね。お釈迦さまが世界中の人に優しくしなければならない、っておっしやったじゃない。他人から支配されずに、みんなが飢えることのない世界なら、たとえ政府が戦争しよう! って言っても賛成する人はいなくなる。きっとそうよ。みんなが幸せなら誰も武器なんか持とうと思わない。きっと、そうよ。

父:
大先輩が言ってたことだけど「平和は平和のときにしか、語れない」って。いったん戦争になれば「平和」っていうだけで非国民って言われてね、言った人だけじゃなくて家族も村八分にあっちゃうからね。今だから言えることかもしれないよ。
「平和を守ろう」「9条を守ろう」って。

祖母:
今日は、久しぶりに家族で話したわね。

子:
おばあちゃん、いろいろ話してくれてありがとう。これからは僕たち若者がしっかりして、戦争をしない日本、いや、世界をつくるために努力をしていかないとね。

*編集者により憲法条文の旧漢字体は新漢字体に、また読み仮名をつけました(旧仮名づかいはそのまま)。

口絵 竹林地俊人

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総会・学習会を開催

七月六日(金)、山口支部の今年度の「総会・学習会」を「本願寺山口別院」にて開催しました。

「総会」では前年度の活動報告、決算報告がなされ、今年度の活動計画・役員改選等が協議承認されました。(決算報告6項掲載)

「学習会」は三十二名のご参加をいただき、広島市立大学広島平和研究所教授・田中利幸さんをお迎えし、「原発と原爆~日本の隠された核兵器開発計画~」と題してご講演をいただきました。

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ヒロシマ、ナガサキの二度の原爆投下と福島第一原発事故により、日本は三度も過酷な放射能被害を受けた国となった。しかもフクシマは自ら起こした事故である。「三度も放射能に苦しむ愚かな国」と外国から揶揄されたのである。何故このようなことになったのか。戦後の日米の原子力政策に詳しい田中教授の講演を通して、今後の反核・反原発の思いを新たにした。

講演 「原発と原爆」 ①核兵器と原発は表裏一体

<講演趣旨>

「原発と原爆」 ~日本の隠された核兵器開発計画~

広島平和研究所教授 田中利幸さん

原発の問題と核兵器の問題が全然つながっていないが、原発と核兵器は密接に関係している。それがあまり言われないがために反原発運動と反核兵器運動が分離している。

それはおかしいので、核兵器と原発は表裏一体であり、核兵器を無くさないでは原発は無くせないし、原発を無くさないでは核兵器も無くせないということをあちこちで発言させて頂いている。

日本でも原発の問題は、日本の核兵器製造政策と非常に密接に関連していることを歴史を辿りながらお話させて頂く。

講演 「原発と原爆」 ②核兵器が出来る経緯

1983年にドイツのオットー・ハーンと助手のマイトナーが、各は分裂しその時に大きな熱 を出すことを発見した。その7年後の45年7月16日にはアメリカで最初の原発「トリニティ」が実験で核爆発に成功している。「トリニティ」とはキリスト 教の三位一体のことで、父(神)と子(キリスト)と聖霊の一体をいい、名付けたのは原爆開発であるマンハッタン計画の責任者オッペンハイマーであった。

なぜ三位一体かというと、神と同じ位の大きな力を発揮する、つまり爆風・火炎・放射能の三 つを一体になぞらえたのである。実はオッペンハイマーは広島・長崎への原爆投下後は、逆に核兵器に批判的になり、水爆実験にも非常に反対して、アメリカ政 府からも敵視されるようになった。

60年代に入り、彼は非常な罪を犯したと公言するようになった。後に人類初の核実験「トリニティ」を回想し「我は死となれり、世界の破壊者となれり」とインドの神話「バカバット・ギータ」から引用した言葉を残している。

講演 「原発と原爆」 ③核技術の利用と拡散

1945年8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下された。長崎の浦上天主堂の上で爆発したのは何か因縁めいている。

戦後、核技術を様々なことに利用しようとする動きが出てきた。特に軍事的にも応用され、潜水艦への利用がはかられた。原子炉は長期にわたって大きな熱が出続け石油を使う必要がない。さらにミサイルの弾頭に核弾頭を装着する。それが原子力潜水艦ノーチラス号であった。

オッペンハイマーは強く反対していたが、原子力開発の中心はすでにオッペンハイマーの手から離れ、戦後の新しい科学者グループへ移っており、止めるのは無理であった。

当初、核技術はアメリカが独占していたが、49年8月にソ連が核実験に成功し、53年には水爆実験をした。その後、イギリス、フランスも成功し、核技術は拡散して行くことになった。

講演 「原発と原爆」 ④原子力の「平和利用」

ソ連は商業用の核技術を共産圏の中で転用し始めた。それに対抗してゆくためにアメリカは、53年12月にアイゼンハワーが国連で演説し”Atoms for peace”すなはち「原子力の平和利用」なる政策を打ち出した。

アメリカの狙いは、核技術が拡散することは避けられないが、核技術を平和利用だけに限らせ、核兵器は造らせないシステムを作ることにあった。「平和利用」「商業利用」のためには技術を教えるが、核兵器を造らない約束を求めたのである。

そのための制度として国際機関「IAEA」を作り規制させる体制を作り上げた。

当初にアメリカが考えていたのは、核兵器そのものを平和利用することであった。例えば核爆弾を使い爆発させて鉱山開発をする、また運河を作る、アラスカの氷を爆破で取り除くなどであった。まさに核兵器と平和利用は表向きでも一体であった。

ところで、原子力潜水艦に使われたのが沸騰水型の「マークⅠ型」で、福島がこれと同じであった。3.11で福島の3号機が爆発した時、アメリカの科学者は驚いた。プルトニウムが入った危険なMOX燃料が入っていたのである。

放射能は長期にわたり人体に影響するが、広島で生き残った人の死亡のピークが12~13年後の57年から58年であり、その死因の第一位が白血病であった。福島でも同じことが予想される。さらに子供は早く7~8年であろう。

講演 「原発と原爆」 ⑤ビキニ事件とアメリカのプロパガンダ

アメリカの原子力委員会は核兵器の政策・実験・平和利用をすべてコントロールするが、トーマス・マレーはビキニ水爆実験の責任者であった。

54年3月にビキニ水爆実験が行われ、第五福竜丸が被爆した。それ以外にもたくさんのマグロ漁船がいて被爆しているが。第五福竜丸が被爆したことで多くの日本人が反応した。

特に東京杉並区の主婦を中心として核実験反対運動を起こし、日本の人口の四分の一に当たる二二〇〇万の署名を集めている。

この引きにの事件はアイゼンハワーが「平和利用」を打ち出した直後の事件であり、これでは日本人は受け入れないことは明白あったので、アメリカは何らかの対応手段を取らねばと考えた。

そこで第一に、まずは被爆者の人達に平和利用を理解させようとした。被爆者が平和利用はよいことだと言えば大きな宣伝になる。

そのためトーマス・マレーは核の犠牲になった人達こそ、まず、原子力の利益を受ける資格が あると広島に原発建設を提案した。また55年1月には下院議員のシドニー・イエーツが連邦会議で広島に日米合同の商業用原発を建設するという提案をし、ア イゼンハワー大統領にも提案の手紙を送った。その中で、広島を原子力平和利用のセンターにする。病院を建てるよりは原発を建てることの方が有益だと主張し ている。

この提案に対して、広島の人は驚くべきことに次々に賛同を示した。冬至の浜井市長は「医学 的な問題が解決されたなら死の原子力を生のために利用することは大歓迎だ」。次の渡辺市長は「他が手をあげるより前に、我々が早く手をあげた方がよい」広 島大学の長田新は「米国の紐付きでなく、民主的な独自で開発するならよい」等、彼らは被爆者であるが次々に賛成していったのである。

少ない反対者の中で広島大学の森瀧市郎は「何よりもまず原爆で苦しんでいる広島の犠牲者の治療と生活の両面にわたり面倒を見るべきだ。また原子炉があれば戦争が起きれば、また広島がターゲットになる」と反対していた。

では、アメリカは本気で広島の原発建設を考えていたかというとそうではなかった。当時のホワイトハウス、国務省は最初から明確に反対していた。アイゼンハワーも反対していた。

これをするとアメリカが原爆を落としたことに罪意識を感じていると認めることになる。さらに、広島に原爆を落とし今度は原発を造り廃棄物のプルトニウムをアメリカに持ってきて核兵器を造ったら世界中から批判されるとはっきりと反対していた。

つまりこれはプロパガンダであった。被爆者も賛成しているということを宣伝しさえすればよかったのである。結局、55年12月にはこの話は立ち消えになる。アメリカの思い通りになったのである。

「原子力平和利用博覧会」

アメリカは第二に、日本人の考えを変えさせようとした。これが55年末から56年にかけて行った「原子力平和利用博覧会」であった。これを主催したのが読売新聞社であった。株主は正力松太郎である。これはCIAの心理作戦であった。

この博覧会は、当初は広島で最初に開催する計画であったが、結局まず東京で開催し、名古 屋、京都、大阪、広島、博多、札幌、仙台と巡回した。広島の開場は今の原爆資料館で、何と資料館の展示物の全てを一時移して三週間にわたり開催し八か所合 計100万人を集めるに至った。

展示物は医療用の癌治療アイソトープの模型、放射線の農業利用、食品利用、工業開発など多種多様のものであった。中には原子力飛行機というあり得ないものもあった。原子炉は大量の水で冷やさなければならないのに飛行機への搭載は不可能である。

パンフレットはカラー写真や絵をふんだんに使い、白黒がほとんどの当時からすれば目ひくものであった。また広島だけ特別な扱いで、展示品の中より希望する展示物の贈呈を受けた。この博覧会を通して、核技術は素晴らしいとすっかり思い込まされたのである。

「博覧会」は日本だけでなく世界中の親米国で開かれた。インドのネールは核兵器に猛烈に反対していたが、これで変わってしまった。今、インドは核兵器を持っている。

広島には50年代「アメリカ文化センター」が建設されていた。そこで様々な宣伝をおこなったが、ディズニーのアニメで平和利用を宣伝し、その映画を貸し出していた。これは広島だけの話ではなく日本全国で読売新聞や日本テレビの宣伝により平和利用が広められていった。

先の杉並の主婦たちの核実験反対運動は平和利用賛成であった。核実験には反対であったが、平和利用には賛成し進めることを主張していた。このように原子力は、将来のためには必要不可欠だとすっかり洗脳されていた。

55年8月の第一回原水禁大会での広島メッセージには、核実験は反対、平和利用は推進となっていた。

日本の物理学者も問題であった。日本の有能な和解物理学者は戦地にも行かずに生き残った。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹を始め彼ら科学者は、平和利用にすんなり賛同し、原爆の開発に関与したことも一切語らず反省もなかった。世間も科学者を責めることはなかった。

世界的にも同じ傾向であった。たとえば、バートランド・ラッセルとアイン・シュタインの核兵器廃絶宣言に賛同する科学者が「バグウォッシュ会議」を創るが、核兵器はだめだが平和利用はよいと主張していた。

冒頭のオットー・ハーンも実はドイツの平和利用博覧会では協力していた。このように平和利用は世界的は運動としてアメリカの政策のもとに広がっていった。

日本の核兵器製造の思惑

日本での「原子力平和利用」ということは、実は核兵器を造りたいという思惑と密接に結びついていた。その中心が日本の平和利用のための予算を最初に付けた中曽根康弘である。

アメリカは彼を将来有望な政治家になるだろうと見込み、ハーバード大学に呼び、キッシン ジャーのもとで教育を受けさせた。その時に中曽根は日本も核兵器を持たなければならないと確信したようだ。さらに自由主義圏の科学者もアメリカに呼んで原 子力技術を教えていた。日本の科学者も当然参加していた。

その結果、原子力の平和利用は、同時に核兵器生産技術の拡散に繋がっていった。核兵器を造ることと原子力を動かすことは一体のものだからである。

近年、アメリカで発見した資料には、55年に日本が原子力の平和利用に調印した段階でアメリカの原子力委員会は「日本は十年後には核兵器を製造する能力を持つ」とはっきり明記していた。

中曽根はアメリカで学んでいた日本人科学者に日本で核兵器はできるか、できるとするといつ できるか質問をしていた。54年3月に予算を付ける時、中曽根と同じ改進党の議員は、予算委員会で新兵器(核兵器)の利用について質問している。平和利用 の最初の予算を付けた時、もう核兵器のことが言われていたのである。不思議なことに当時の社会党も共産党も何も言わなかった。