講演 「原発と原爆」 ④原子力の「平和利用」

ソ連は商業用の核技術を共産圏の中で転用し始めた。それに対抗してゆくためにアメリカは、53年12月にアイゼンハワーが国連で演説し”Atoms for peace”すなはち「原子力の平和利用」なる政策を打ち出した。

アメリカの狙いは、核技術が拡散することは避けられないが、核技術を平和利用だけに限らせ、核兵器は造らせないシステムを作ることにあった。「平和利用」「商業利用」のためには技術を教えるが、核兵器を造らない約束を求めたのである。

そのための制度として国際機関「IAEA」を作り規制させる体制を作り上げた。

当初にアメリカが考えていたのは、核兵器そのものを平和利用することであった。例えば核爆弾を使い爆発させて鉱山開発をする、また運河を作る、アラスカの氷を爆破で取り除くなどであった。まさに核兵器と平和利用は表向きでも一体であった。

ところで、原子力潜水艦に使われたのが沸騰水型の「マークⅠ型」で、福島がこれと同じであった。3.11で福島の3号機が爆発した時、アメリカの科学者は驚いた。プルトニウムが入った危険なMOX燃料が入っていたのである。

放射能は長期にわたり人体に影響するが、広島で生き残った人の死亡のピークが12~13年後の57年から58年であり、その死因の第一位が白血病であった。福島でも同じことが予想される。さらに子供は早く7~8年であろう。