2013年6月17日 オピニオン 毎日新聞掲載


mainichi201306 憲法の精神の風化を憂う

無職 一戸 稔(86) 千葉県八千代市

1945(昭和20)年3月の東京大空襲、硫黄島玉砕、その後沖縄は戦場と化し、8月に広島・長崎原爆を経て、日本はポツダム宣言を受託し敗戦が決まった。新憲法が公布されたのは1年後の46年11月3日である。

私にとって新憲法は新鮮でまぶしい存在だった。特に平和主義に徹するとする前文と戦争放棄をうたった第9条は、キラリと光る珠玉のようだった。何百万の同胞の貴い命と引き換えに世界に向け胸を張れる唯一の誇りが新憲法であった。

終戦から68年、戦争を体験した年寄りは今やごく少数派だ。戦争を知らない偽政者により改憲が次第に声高な世の中になって、私などは戸惑うばかりだ。最近の一つの救いは8日の本紙「保阪正康の昭和史のかたち」での安倍晋三首相の占領憲法意識は「平和求めた先達への侮辱」ではないか、というご指摘だ。まさに我が意を得たり、もろ手を挙げて賛意を表したい。

 

憲法の押しつけ否定論に納得

自営業 杉原 由美子(57) 富山県射水市

本紙8日の「保阪正康の昭和史のかたち」で、安倍晋三首相の「占領憲法」意識について論評されているのを読み、大切なことを学びました。憲法9条、戦争放棄の条項は憲法草案作成当時の幣原喜重郎首相の意向を強く反映しているというのです。

幣原は戦前の外交官であり、国際協調外交に努力した外相でもありました。連合国総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥の証言によると、1946(昭和21)年1月、幣原は「唯一の解決策は戦争をなくすることだと信じる」との意見を伝え、マッカーサーは全面的に納得したというのです。

平和憲法のもとで育ってきた私には、とてもうれしい情報です。平和憲法は決して押しつけられたものではなく、日本人が自ら立てた誓いと思えたからです。

偽政者にとっては9条を含め憲法の理想の高さが重荷になるのでしょうが、国民にとってはこれほど誇りになる憲法は世界に類がないと確信しています。

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「保阪正康の昭和史のかたち」 画像をクリックすると拡大します。