「科学の原理と人間の原理」④

この社会の無責任さ

くすぶり続けるどうしようもないものを、やり場がなくて全部青森県六ヶ所村に持って行くという計画になっている。私はこの計画が、一番今の我々の社会の無責任さを典型的に表していると思う。このことを止めることに私の生涯を捧げたいと分厚い本を一冊書きました。

私は放射能を作る側でやってきた人間ですから、これが乱暴に捨てられる、消せない火を作ってしまったこの自分の行為の結末が、六ヶ所村という一地域の過疎であるが故に、それをお金でもって受け入れてしまった人達の上に矛盾を押しつけるという形で進行しているのが忍びないのです。

この計画を止めても放射能の行き先で良い所というのはない。しかしこの乱暴な計画を止めることを自分の人生の後始末にしないと、自分が核化学という学問を選んだことについての自分の責任を取り切れていないと思わざるを得ない。それくらいに消せない火であることから生ずる矛盾が解決できないのです。

ここのところが、核の原理と人間及び他の生命の生きる原理が一番根本的に違うところです。

 

核が要請するスピード

核が要請するスピードと人間が普通に持っているスピード感は全然違う。人間の普通の判断力とか敏捷性などと全然違うスピードです。これがまた非常に深刻な問題です。核の世界でいえばコンマ何秒、それ以下を争う勝負です。一秒判断が遅れたら本当にダメだという場合だってある。ですが人間はそんなふうにできているものではない。いくら技術が上がったからといって核のスピードには追いつけません。

例えば映画はコマ切れの少しずつ動いてゆくコマを連続的に回すから動いているように見える錯覚を利用しています。人間の目が誤魔化されているのです。映画はそれでいいわけですが、それで困るのは原子力の世界です。

 

人間の誤りを許さない原発

現代は非常に巨大事故の起こる時代となっている。今のような巨大なシステムの中では、誤りが本当に許されない。人間のちょっとくらいの誤りがあったら機械が止まるシステムは一応あるが、すべてのケースに働くわけではない。人間が突拍子もないことをやったらまずダメなのです。

事故には色んなタイプがあるが、一番気になるのは将棋倒し型の事故です。何もなければ機械は自動的に動いていて退屈至極です。トランプをやっていたという話があったり、アメリカの原発では居眠りしていた時に事故があり後で罰金となった。

原発は普段は完全に自動で動いている。そこに何か起こるからいきなリ人間が対応せざるを得ない。そうすると人間は慌てるわけです。そしてミスを犯してしまう。②というスイッチを入れなければならないのに③のスイッチを押してしまう。機械はそれに反応してしまう。また次に違う事態が起こってそれにまた人間が影響を受けるといった人間と機械の将棋倒しが起こるわけです。どんどんエスカレートしていく。ほんのちょっとした事と思われていたことが、すごく大きな事になっていく。

スリーマイル事故などは典型的で、一つ一つ見れば大したことはない。この事故で色々教訓はあったが、機械のどこが悪いというよりも、運転員の訓練が悪かったとか機械と人間の連絡が悪かったという話になった。それで制御室の設計を変えるとかボタンの位置を変えるとかしたが、それで片付く問題ではなかった。極端にいえば、その日の作業員の気分によってもずいぶん変わってしまうのです。ですからアメリカでは精神科医や心理学者が居て運転員の精神状態をチェックしている。

とにかく間違いのないようにというわけです。これはある意味非常に恐ろしい世界です。人間を機械にしちゃう発想です。人間の論理と機械の論理との間の矛盾を、人間を機械の方に寄せることによってカバーしようとするのです。しかしそれがどうもうまくいかない。やっぱり事故を起してしまう。

チェルノブイリだって色々設計ミスとか人為的ミスと言われる。設計ミスでも、人間が設計する段階で既に「うっかり」とか「想定しない」というような人間くさい要素が入ってしまう。そういうことを含めて人間が絡むところには事故は必ず起きます。