※「本願寺九条の会」という名称は、呼びかけ人・賛同人等から、「将来的にはより広く第九条改悪反対で結集できる名称の方がよいのでは」という意見により、「念仏者九条の会」と改めました。
今年はアジア・太平洋戦争の敗戦から60年です。今、憲法は古くなっ た、憲法が時代に合わなくなったとの喧伝のもと、2007年には日本国憲法を改悪しようという動きが現実になろうとしています。改悪しようと目論まれてい る問題点は「国のかたち」を変えようとするもので、第九条のみならず第二十条(信教の自由)、第二十四条(男女の平等)等々と多岐にわたります。中でもと りわけ「戦力の不保持」と「武力行使を否定」した第九条が改悪の狙いの中心になっています。今年は憲法施行から58年、しかし、現憲法・第九条は古くなっ たのでは決してありません。1999年に、世界の市民・平和運動を中心として、21世紀に向けての平和実現の課題を語り合ったハーグ国際会議では「すべて の国家の議会は、日本国憲法第9条が定めているように、政府の戦争参加を禁止する決議をすべきである」と決議し、人類共存のために21世紀にこそ日本国憲 法第9条は光り輝くことを明らかにしています。
本願寺教団は、かつて親鸞聖人の教えにないことを「教え」とし、戦争を賛 美し、推進した歴史をもっています。それはアジアへの侵略戦争を「聖戦」と呼んで門徒を戦争に駆り立てた、痛恨の過去です。その過ちを再び繰り返さないた めにも、私たちの教団は、平和実現のための活動をすべきことは言うまでもありません。戦後 60年、不十分ながら本願寺教団においても、「教団の戦争責任を明らかにする」取り組み、「千鳥ヶ淵墓苑での全戦没者追悼法要、各教区や組での〈平和のつ どい〉」の勤修、「靖国神社公式参拝反対など、日本政府等に対する声明」等の発表が、私たち在野の運動と連携しながら行われてきました。
今、自衛隊はインド洋やイラクに派兵され、すでに解釈「改憲」によって憲 法は死に体に近い状態です。しかし、もしも憲法が変えられ、「戦争をする普通の国」として明文化されたとき、いかなる社会がそこに現出するか、今こそ私た ちは、戦前の日本と本願寺教団の辿った歩みを思い起こし、教訓としなければなりません。
私たち念仏者は、「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命 は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ダンマパダ』)という「非戦」の教えを曲げてしまった痛恨の歴史を繰り返さな いために、そして「四海のうちみな兄弟」という浄土真宗の「み教え」に生きる者として、往生を願い、世をいとう「しるし」として、今、憲法第九条の改悪に 反対の声を上げます。