講演 「原発と原爆」 ⑥核兵器の持ち込みと密約

アメリカは核兵器を早く持ち込むことを考えていた。最近発見した55年3月の国防長官から 統合参謀本部への手紙によると、日本の国内には既に核物質の芯は抜いてあったが核爆弾が持ち込まれていた。沖縄の話ではない、当時まだ沖縄は返還されてい なかったから日本のどこかにである。ソビエトと戦争になった場合を想定し、いつでも使えるように持ち込まれていた。そして使える権限が統合参謀本部長に与 えられていた。ドイツへオープンで持ち込んでいたのと同じであった。

56年12月の国防副長官への手紙によると、最終的にオープンに核兵器を持ち込むが、日本は反核意識が高いので、今はオープンにはできないが、平和利用を進める中で将来はやると言っているのである。アメリカの意図は半ば達成されていたのである。

オープンに持ち込むことは簡単には出来なかったが、転換期は沖縄返還の時であった。佐藤首 相が核のカードを使ったことである。つまり返還できなければ核兵器を造ると主張したのである。事実、佐藤政権は実際に核兵器を造るための計画案を勉強させ ていた。今は外務省も開き直っていてウェブサイトで閲覧できるのである。

アメリカはあっさり沖縄を返還するが核をいつでも持ち込むと主張した。そしてその密約を裏で交わしていたのである。

佐藤は卑劣にも、国民には表向き非核三原則を持ち出していたが、裏では持込を容認していたのである。しかも佐藤はこの非核三原則でノーベル平和賞を貰うという無茶苦茶な話である。さすがにその後、ノーベル賞委員会は間違っていたと認めた。

ところがアメリカは、中曽根政権の時、つまりレーガン、ブッシュ政権の時代に政策を転換していた。ジョセフ・トレントというジャーナリストが明らかにした。それはレーガンの時に、日本にはすぐにプルトニウムが作れるように、核燃料の再処理の技術を持たせることにした。

こんな馬鹿なことは本来ないのである。日本は「IAEA」や「NPT」に加盟しており再処 理はできないはずなのである。核兵器保有国以外で再処理が出来るのは日本しかない。これはレーガンとブッシュと中曽根政権で決めた。その時にできたのが燃 料の再処理工場であった。「普賢」の燃料再処理は表向きで、本当の目的はいつでも核兵器が造れるためであった。

福島第一原発の三号機にMOX燃料を入れていたことにアメリカの学者は驚いた。核兵器を造る国だけしか持っていないはずの高濃度のプルトニウムを日本が持っていることに驚いたのである。